修論と博士課程面接を振り返って

この1カ月の間に、修論提出、口頭試問、博士課程面接がありました。

今日はその振り返りを書こうと思います。

 

1.修士論文

 結局、ギリギリに仕上げたため、「やりたかったこと」ではなく「できたこと」を書いたような論文です。

 また、研究計画通りには進められなかったため、実施はすれども修論には盛り込み切れない内容もありました。

 正直なところ、年末には今年度の提出を諦めかけていました。「良いものを書けそうにないので、今年度の提出はやめようかなあ」と何度思ったことか。

 それでも最後まで書けたのは、探索的な分析の結果、新たな科学的発見や政策的示唆はあったからです。それらを「1年でも早く成果物として残しておきたい」という一心で何とか仕上げました*1

 過去の先輩談や、SNS、blogで発信される情報を見るに、修論の内容や到達点に「満足できた」学生はほとんどいないと思います。僕も、到底満足できる完成度ではありませんでしたし、同期生も全員「不満足」と答えるでしょう。

 それでも、満足できなかった人は全員同質ではなく、(今1人で思いつく限りですが)次の2つに分けられると思います。第1は、「やりたいこと」を最後までやり抜いたけど到達点に限界を感じた人であり、第2は、「やりたいこと」を諦めて「できること」に逃げた人です。僕は残念ながら後者です。できたことをストーリーとして完成させ、まるでアリバイ作りのように比較的綺麗な論文の体裁でまとめました。そういう立場の者だからこそ、前者の人達の内容を発表会で聞き、彼らに賞嘆と尊敬の念を抱かずにはいられませんでした。なぜなら、彼らの研究には、(本人達が自覚しているように)到達点や実証性に課題は残るけれども、自ら定めた問いについて、在学中の1~2年間、あるいは入学前から継続して、調べ、記述し、悩み、考え続けた成果が見えたからです。

 成果物の完成度や構成はもちろん大事ですが、修士論文を「そのまま」投稿あるいは公表する人はほとんどいないはずです。それゆえ、成果物の出来と同等、あるいはそれ以上に、その作成過程において研究テーマへの熱意、根気や粘り強さを養うことが重要であると思いますし、それを評価する人も少なくないのではないでしょうか*2。2年間同じテーマを継続したある同期生の修論は、課題はたくさん残ったけれども、継続して取り組んでほしいと私は思いましたし、先生方やOBからも「もし、このテーマを続けるなら」という質問がいくつかありました(残念ながら、この方は博士課程には進学しません)。もちろん、この話は、「継続して問い続ける価値のあるテーマ」を設定していたかにもよりますけれども*3

 

2.博士課程面接

 落ちました。この御時世では異常だと思いますが、「文系」にもかかわらず倍率は約5倍、かなり競争的です。修士同期やOBの研究テーマ及び現時点での進捗状況、また、一部の外部受験者の経歴及び実績は知っていたので、この結果は相対的に見て当然だと思っています。絶対的に自分のテーマと計画、(ほぼゼロの)実績を評価しても、「このままではだめだなあ」と思っていました。

 ダメなのを自覚していたのもあって、前日は緊張のあまり眠れず、朝一の面接は寝不足でカタコト言葉。自分のやりたいことが明確でなく、熱意も語れず、今のテーマや着想を自己否定し、視野を広げて話しながらも広げた先の領域のサーベイ及び思考不足を露呈するという、最悪の内容。準備出来ている時と準備不足の時の違いが一目でわかるとよく友人から言われるのですが、まさに後者でした。

 一方、現役進学することとなった同期2人(合格者4人中2人)の研究テーマは、新規性・独創性があり、さらに純粋な知的好奇心や探究心をくすぐられ、結果が出るかはわからなくてもそれをやり続けてほしいと思えるものでした。修士1年の時から彼らの発表を聞いていたのですが、いつも楽しませてもらいましたし、毎度「前回の続きが知りたい」とワクワクしたものです。継続してやり続ける価値のあるテーマであること、これまでにやり抜いてきたこと、そしてそれにまつわる実績を先生たちも評価していたのではないかと思います。また、先生方の研究領域内での指導可能性というのも重要であったと思います。 

 正直に言うと、落ちてある意味救われた気がします。このまま進学しても博論を書ける自信はありませんでした。最近は、短期的に解決できそうな小さな問いや分析課題を設定することは出来ても、時間がかかってもやり遂げたいという純粋な知的好奇心、探究心に基づく問いの設定や、それをやり遂げる勇気や熱意、覚悟を持てません。そんな状態で博士課程に進学しても、「分析はできるが博論は書けない」満期退学生となってしまう気がしました。

 また、これは言い訳でもありますが、上記のようなことができない背景には、今の自分の役職や雇用形態もあるのかなと思います。自分の過去を振り返ると、前職時代は数年後の仕事や衣食住を心配する必要がなく、根源的な「なぜ?なに?」という問いの導出、結果が出るかどうかを気にしない取り組みが比較的しやすかったように思います。しかし、約1年前、在学中の転職により今の任期付の立場になってから、そういうことをやる余裕や楽しさは失われました。思いつくのは、既存のデータやローコストの調査から実現可能で、短期的に何かしらの結果が出そうな「分析課題」ばかり。定期的に成果を残さなければならないという使命感が何よりも優先され、時間をかけて、楽しみながら、といったことは出来そうもありませんし、人や組織など、対象や物事をじっくり観察する目も曇っていってる気がします*4

 こうしたことを、任期付若手研究者や大学内の「新しい専門職」の方々、更にはノーベル賞受賞者達が述べてきた意見を振り返り、今まさに共感しているところです。もちろん、優秀な人、順調に万事進んでいる人、勇敢な人達は、さして気にせず研究に当たっていると思います。しかし、僕のように、裕福でも、強い財政的後ろ盾があるわけでも、時間が豊富にあるわけでもない者、才能の欠如を努力で補完することすら怠っている凡夫では、深い志に基づく問いを導くことに難しさを感じます。ただし、今はこういう言い訳を書いていますが、もし何かしらの転機があれば、また解釈や説明も変わるかもしれませんね。この1年を振り返ると、「計画性、自己管理能力、努力、どれも不足していたのに何を言ってるんだ」と言われても仕方ない気もします。

 

3.今後について

 仕事をしながらですが、自由な時間は増えるので、研究活動を継続、というか始動したいと思います。査読誌への投稿、学会発表然り。

 博士課程に進学するかは、今後自分が抱く問い次第だと考えています。この先また1年、色々なことを見聞、観察して、そういう問いが出てくるかじっくり待ちたいと思います。進学するための問いを無理やり作り出そうとは思っていません。それではきっと、やり抜けないと思いますので。

 科学的なことに従事する端くれとして、「一つのことを究めることの難しさ」は重々承知しています。飽き性であり、いろんなことに興味関心が移りやすい元来の性格を理性である程度コントロールする必要もありますし、コントロールしながら物事に当たることが幸せなのかも考えなくてはいけません。「対象学」の道を進もうとするなら尚更です。

 それと、今後の人生を考えたときに、この先数年間で最も優先すべきことは、生活基盤の安定化とそれに付随する活動だと今は落ち着いて考えています。(今後もそうですが)僕自身、「研究第一」の人生は考えていません。

 また、ここでは詳しくは書きませんが、「今、この業界で何を一番の課題だと思っているのか」、「それを解決するために、この先何をしたいのか」を考えていったとき、それを果たす手段は研究なのか実践なのかを問えば、必ずしも前者ではないと考えています。前者と後者には関連の深いものが多々あり、私の考える実践も研究活動に基づくものです。しかし、自分が実現したいことは有益な実践にはなり得れども、研究成果として還元できるかは微妙なものです。

 実践については既に話が進んでいるものがいくつかありますが、仕事とも関係するそれら活動をより良いものにするため、しばらくは実践の質の向上に尽力すべきとも思います。真剣に必死に物事に取り組んでいる中でこそ、色々な課題発見、問いが生まれてくることを経験的にも理解していますので。

 

 この2年間、仲間たちとともに、とても充実した楽しい社会人大学院生生活を送れました。だからこそ、修士課程修了で一度大学院を離れるのはとても寂しいです。今の自分のアイデンティティの1/2を占めていたものを失うわけなので。しかし、僕は元々「学び直し」のために大学院へ進学したのではなく、この分野を本格的に「学び始める」&「学び続ける」ために進んだのだと再認識すれば、継続してすべきことは見えてきますし、正課学生でないことはたいした問題ではないように思います。

 最後に、社会人大学院生として、また、修士論文作成にあたって、この2年間お世話になった大学院の同期・先輩・先生・職員の方々、職場の上司・同僚、他大学大学院の学友・他大の同業者、そして家族など、色々な人達に今は感謝したいと思います。

 

*1:一部の政策担当者にとっては、成果の一つが既知の発見であることを後になって知りました。残念ですが、まあ、それは持っているデータ量が違うので当然、仕方ないとも言えます。しかし、多くの人にとって未知のことではあるので、研究の文脈で科学的に明らかにすること、多面的に検証することは少なからず意義があるだろうと今はプラスに考えています。

*2:ビジネスでは目標達成能力や計画遂行能力も重要かもしれませんが、研究は当初の計画通りいかないこと、計画を大幅に変えることが珍しくないと思います。上記能力は研究でも大切だと思いますが、重要度はやや低いように思います。

*3:いつの時代も、この価値判断が完全無欠である状態は絶対に実現不可能だと思います。それでも、その分野の過去も今も知る、現時点で最先端を行く研究者の評価は、相対的に見て十分信頼に足るものであると思います。

*4:念のため補足すると、僕は「研究を業務とする職員」ではないので、そういうプレッシャーに強く晒されているわけではありません。しかし、今後、今のような立場でキャリアを築くのであれば、外部一般に説明出来る実績を残さないと危険であることを自覚しています。

大学による大学職員向けプログラム等の紹介ー「SD」の参考にー

twiiterでは書ききれないので久しぶりに記事にしました。
 
先日某地方私立大学で働く方から質問を受けました。
「地方にいながらも本学職員が受講できる大学職員向けプログラムはないか」と。
ざっくりではありますが、そこで提供した情報を少しアレンジしてまとめてみました。本来なら比較表を作ってわかりやすくしたいところですが、今回はリンクのみです。
 
今回は、高等教育機関が提供する、高等教育、大学経営または実務に関連した分野をある程度継続的又は体系的に学べるプログラムを選びました。
ただし、各大学や団体、持ち株会社含む企業等によるものは除外しました。*1
また、学士課程も除きました*2
少なからずバイアスを含むのはご容赦を。
なお、並び順は適当(原則東→西の経度順)です。
 
1.大学院学位取得型
 
東京大学:教育学研究科 総合教育科学専攻 大学経営・政策コース
http://ump.p.u-tokyo.ac.jp/
 
桜美林大学:大学アドミニストレーション研究科(通学課程) | (通信教育課程)
http://www.obirin.ac.jp/postgraduate/graduate_course/index.html

名古屋大学:教育発達科学研究科 教育科学専攻 高等教育学講座
https://www.educa.nagoya-u.ac.jp/faculty/index_e_e04.html

京都大学:教育学研究科 教育科学専攻 高等教育開発論講座
https://www.educ.kyoto-u.ac.jp/graduate/research_content/education_science/higher_education_development_theory_course

広島大学:教育学研究科 高等教育学専攻
http://rihe.hiroshima-u.ac.jp/education/graduate-overview/


※一部科目履修制度あり。
名城大学に学校づくり研究科がありましたが、既に募集停止。
※2018年度より、追手門学院大学が大学院経営・経済研究科に大学経営に特化した研究領域を設置予定(↓URL参照)。
http://www.yomiuri.co.jp/adv/local/release/00025735.html
 
2.履修証明プログラム
 
東北大学:LAD(アカデミック・リーダー育成プログラム)
http://www.ihe.tohoku.ac.jp/CPD/lad
 
千葉大学:ALPS履修証明プログラム(アカデミック・リンク教育・学修支援専門職養成履修証明プログラム)
https://alc.chiba-u.jp/ALPS/sd.html
 
筑波大学:Rcus大学マネジメント人材養成
http://www.rcus.tsukuba.ac.jp/program/index.html
 
京都大学:私学経営アカデミー ※「職業実践力育成プログラム」
https://www.coc.kyoto-u.ac.jp/event/view/6
 
 
3.オンライン
 
東北大学PDP(専門性開発プログラム) Online
http://www.ihe.tohoku.ac.jp/CPD/PDPonline/
 
ペンシルバニア州立大学:Master of Education in Higher Education
http://www.worldcampus.psu.edu/degrees-and-certificates/higher-education-masters/overview
 
4.番外編:最近流行りのIR初級者向けオンライン講座 ※一部大学外
 
ペンシルバニア州立大学:Graduate Certificate in Institutional Research
http://www.worldcampus.psu.edu/degrees-and-certificates/institutional-research-certificate/overview
※その他、海外大学のオンラインIR履修証明プログラムは↓(藤原2015)を参照
http://iir.ibaraki.ac.jp/jcache/lib/docu/001_h2702/001-h2702-31_fujiwara.pdf
 
gacco:「社会人のためのデータサイエンス入門」(J-MOOC)
http://gacco.org/stat-japan2/
http://gacco.org/stat-japan/

gacco:データサイエンス・オンライン講座(J-MOOC)
:「誰でも使える統計オープンデータ」
http://gacco.org/stat-japan3/
 
以上です。
念のため、この情報を読む際の注意点が3つあります。
1つ、筆者がすべてを受講したわけではなく、その質を保証するわけではありません。同時に、ここに書かれていないものの中にも質の高いものがあるかもしれません。
2つ、提供者やプログラム名は違えど、同じようなことを学べる機会は他にも多々あります。例えば、他の研究科や専攻でも大学経営・高等教育を専門に研究している教員や学生はたくさんいます。また、同じくくりでまとめたものでも、カリキュラムや専任教員数、学生数にはばらつきがありです。
3つ、単発物でも最近はデータ分析系のセミナーは数多く、使用する統計ソフトやレベルも多様です。↑にはオンラインで受講可能なIR初級者向けプログラムを挙げましたが、それぞれの技量や使用ソフトに応じて自分で探すのが一番良いかも知れません。例えば、参加資格は限定されますが、ある程度知識や経験のある人であれば、東京大学社会科学研究所の計量分析セミナーはSPSS、Stata、Rなどの各種統計ソフトを用いた分析手法を、更にはSSJDAに登録されている質の高いデータを利用し、非常に安価で学ぶことができる貴重な機会です*3。 
 
ここに書いたような情報はごく一部です。
募集時期が限定的だったり、コンペティティブですぐに定員が埋まってしまうものもありますので、普段からアンテナを張っておくとよいかもしれません。
これらの情報が踏み台となり、自らあるいは自大学職員に合うプログラムを探したり、試しに受講したりするきっかけになれば幸いです。


※9.24追記
その他、網羅的でない部分はこちらのスライド39もご参照ください。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/015/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2015/06/12/1358792_04.pdf

*1:各大学内部のものは多々ありますが、例えば上智大学の「大学マネジメント講座」など。http://www.sophia.ac.jp/jpn/info/news/2016/9/globalnews_2051/20160928press 企業(大学の持ち株会社)によるものは早稲田大学アカデミックソリューションのQUONアカデミーなどがあります。https://www.quonb.jp/university/sdseminar.html

*2:大正大学 教育・学校経営マネジメントコース

*3:http://csrda.iss.u-tokyo.ac.jp/seminar/quanti/2017summer/

大学への機関補助から学生への個人補助への転換(高等教育バウチャー)について

2,3年前から、いつか実現したいと思っている政策を今日はざっくり書こうと思う。

 

現在、国公私立あわせて毎年度約1.9兆円の大学への機関補助のうち、7千億円(4割程度)ほどを個人補助へと切り替える。7千億円という数字は、高等教育への初年次参入に対して、一人当りこれぐらいあればなんとかなるであろう金額から導いたものである。

 

仮に7千億円を個人補助として、その分配方法は、18歳以上の年齢からいつでも使える100~120万円の使途限定高等教育バウチャーの配付。使用のタイミングは25歳だろうが30歳だろうがいつでもよい。

 

根拠は、政府による高等教育を受ける者への投資効果は大きくプラスである一方、高等教育へのアクセス機会は世帯所得や親の属性、社会的立ち位置による影響を受けるから。機関補助中心であることが機会格差縮小を妨げ、投資効果を弱めている。これは、全くもって社会や経済の一般均衡解ではない。

 

個人補助のメリットは、高等教育アクセス機会の均等化、アクセスにおける世帯所得等の影響の緩和、行政コストの削減、大学の事務負担の軽減、学費価格設定の適正化(市場化)、学生本人の学費負担の自覚の促し等にある。

デメリットは、想像力の欠如かもしれないが、ほとんど思い当たらない。あえて、「部分均衡」的なものをあげれば、どこか仕事がなくなる部局や組織が出てくること。そういうところは、存在意義は別のところで発揮できるよう自分たちの仕事を考え直せばよいし、それができないなら淘汰されればよい。行政側である場合、コストカットした上で税の投資効果を上げられるならそれより望ましいことはないし、それによって存在意義がなくなるようならそもそも社会に必要ないのではないか。他の部局や産業に労働力等の資本が流れたほうが効率的である。

 

あとは、マイナンバーを使うことになると思うが、これはリスクであってデメリットではない。また、政府と本人間における資源分配であるゆえ、教育バウチャーについては学校がマイナンバーの収集や保守をする必要はないし、また、マイナンバーを使うリスクは他制度でも同様であり、高等教育政策に限った話ではない。

 

ちなみに、たまに提唱される高等教育の無償化には2.5兆円ほどしかかからないという試算があるが、その程度なら無駄な医療費を削れば簡単に捻出できるという意見もある。これについては、私も社会保障に関する実務経験(審査側)を経て、本当にそうだと実感するし、実現願いたい。が、「医療費削減→成人の教育費への充填」は、世論も業界団体も厚労省も激しく抵抗するだろう。おそらく、他のテリトリーとのパイの奪い合いより、高等教育予算内での分配方法の転換:機関補助→個人補助のほうが現実的である。

 

さて、学生視点にたつと、初年次に120万円あれば、たいていのケースは最短でも半年はもつだろう。高等教育への参入障壁の軽減という目的であれば、これで必要最低限は満たせると思う。あとは、成人であれば、バイトや奨学金の獲得や人脈で上手くやっていく必要がある。もちろん、大学や回りの人からのサポートがあるに越したことはない。

 

「機関補助が減ったら学費上がるよ」ということであれば、上げればよい、というより上げて然るべき。ほぼ横並びではなくて、インプットの費用または限界効用から独自に価格設定すればよい。自分のところの教育サービスにどれだけの価値や評価があるか再確認し、需要と照らし合わせながら価格を設定すればよい。もしそれに自信があるとすれば、高価格にすればよい。国立のほうが本当に質の高い教育サービスを実現しているなら、それを価格転化すればよい。

 

この業界の悪いところだが、理念とかいう何も根拠もない訳のわからないものではなく、エビデンスベースで政策考えるべきである。政策は宗教じゃないんだから。
毎年のように「新しい分配政策を思いついた。どうだ⁉」と、根拠に乏しく、また各々の専門家から「この支給基準や要件はなんだ?」と思われるような政策を打ち出していく様は、「裸の王様」のようにも見える。

 

やりたい政策から資源分配を考えるんじゃなくて、実証や過去の検証、評価を踏まえて導き出した効率的かつ効果的な資源分配から取るべき政策を立案していかなくてはならない。無限または余裕のある私費じゃなく、有限で予算制約の厳しい税金使ってるんだから。

 

Amazon CAPTCHA

 

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http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/062/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2015/02/02/1354813_7.pdf

 

http://www.kodaikyo.org/wp/wp-content/uploads/2014/12/factbook_2013.pdf

 

http://www.shigaku.go.jp/files/s_hojo_h27.pdf

大学、高等教育における不易流行

古典はあまり得意ではなかったが、昨日見つけた今の心情を表す良い言葉。

 

「不易を知らざれば、実に知れるにあらず」服部土芳『三冊子』
「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」向井去來『去来抄

 

※永久不変の真理の価値を知らなければ基礎を確立することができず、一方で時代の変化を理解できなければ新しい発展は望めない、変化の本質を理解できない(個人的解釈・意訳)。

 

大学を巡るデレック・ボックとトリプルヘリックスの対比に触れた後、これは心に染みる。
最近は高等教育の古典に触れるのが楽しい。

 

※参考

商業化する大学 (高等教育シリーズ) : デレック ボック : 本 : Amazon

トリプルヘリックス―大学・産業界・政府のイノベーション・システム | ヘンリー・エツコウィッツ, 三藤 利雄, 堀内 義秀, 内田 純一 | 本 | Amazon.co.jp

カント全集〈18〉諸学部の争い・遺稿集 : イマヌエル カント : 本 : Amazon

アメリカの反知性主義 : リチャード・ホーフスタッター, 田村 哲夫 : 本 : Amazon

Amazon.co.jp: 大学で何を学ぶか: J.H.ニューマン, ピーター・ミルワード, 田中 秀人: 本

 

今日一番共感した言葉

「真理を追求するあまり、公の仕事をなおざりにするなどは義務に対する違反である。何故なら、美徳が賞賛されるのはすべて行動によるからである。しかしながら、行動はしばしば中断されることもあり、その時我々は再び真理を追求するのだ。精神の間断ない活動が我々の側の努力なしに知識の追求へと我々をいざなう程力強いとは言わぬまでも。」(キケロ

 

最近耳にしたどの情報よりも、この2000年前のキケロの言葉に最も共感を抱いた。これは約150年前のJ・H・ニューマンの講演録がまとめられた邦訳書、『大学で何を学ぶか』に記されたものである。

 

……余談だが、100年前も、200年前も、イギリスなどの諸外国で大学を巡る今と同じような議論があった。その中で、今も残っているもの、歴史とともに消えていったもの。消えていったものは、(あくまで)現時点での評価として、たいした問題ではなかった話だということだろう。今も色々な人が本を書いたり記事を書いたり、大仰な会議で審議したりとしているが、果たしてどれだけ残るだろうか。


ここから改めて気づかされることは2つ。第1に、真理は時を超えてもその輝きを失わない。第2に、「知」の時空を超えるスケールの大きさ。


さて、最近の人文学系の改廃是非の議論ではあまり聞かないが、ニューマンの話にも挙げられている通り、知は「手段」であるか、「目的」であるかという議論は昔からある。

なお、学教法第83条は「手段」として書枯れているように読み取れる。

そんな法律の条文とは関係なく、私自身のことを言えば、これまでは知を「手段」としてばかり考えていたのに、最近はそれ自体を「目的」として楽しんでいる自分がいることに気付かされる。


大学教育における「リベラル」とは何なのか。何に対しての「リベラル」なのだろうか。「servile(奴隷的)」の対義語だとニューマンは言う。

 

今になって、教養教育でもなく、何にも隷属しない、これこそが「リベラル」な知なのだなと、社会人として学ぶ側になって初めて理解する。


現代への含意がある古典に触れた時の感動は並みじゃないなあ。

 

www.amazon.co.jp

大学における意思決定に必要な情報の入手-外部機関に頼むという手段-(私立大学の例)

中長期計画の策定や広報、各種委員会委員など、大学経営にも関わっている知人の大学教員の方から、次のようなことを時折耳にします。

 

「学生募集策や教育内容の改善のために、これからは○○を特色にして学生募集やカリキュラムの整備に取り組もうと職員や教員に提案すると、△△課の職員(または教員)から『そんなことをしたら学生が集まらなくなる。無理だ。』、『他の大学はそれでうまくいってない』、『失敗は目に見えてる』といった抵抗を受ける。面倒だからか、やる気がないからか分からないが、いくら口で言ってもダメなんだ。本当に危機的な状況になってからでないと、改革は進めらないのかもしれない。」

 

そうした声に対して、(ありきたりな返事ではありますが)私は、

「現状はどうなっているのか、それらの取り組みや改革が有効なのかを裏付け、意思決定の材料となるエビデンスを集めて、それらも併せて見せながら提案していってはどうでしょう?」

と返します。

 

学内にIR担当の人員や部署が存在するのであれば、そうした人や部署に情報収集や分析を依頼することもできるでしょう。しかし、その大学にはまだ「IRer」としての仕事ができる職員や、IR機能を持つ部署が存在しないとのことです。

 

そうなると、まず思い浮かぶ策としては、自分や内部の協力者を中心にデータを集め、分析し、意思決定に必要な情報を用意していくということが考えられますが、元々の自分の仕事に時間を取られたり、専門的にその仕事をしているわけではなかったり、または組織の縦割り文化があったり、入手可能なデータがどこにあるかわからなかったり…といった事情で集められるデータや作業時間には限界があると思います。

 

このようなときには、膨大で多種多様なデータを持つ外部機関を頼るのも一つの手です。その中の一つの手段として、私立学校のデータの入手であれば、日本私立学校振興・共済事業団の情報提供システムや提供依頼を活用するという手があります。

 

大学、短期大学、高等専門学校、高等学校、中等教育学校、中学校、小学校を設置している私立学校法人であれば、私学事業団が左記の学校法人向けに提供している私学情報提供システムを利用して、私学事業団が調査で集めているデータの一部を入手することができます。

地域や規模など様々な条件を付けて、学生数や財務等のデータの集計値等を入手することができます*1

 

ただし、法人内で使用可能なアカウントの数は限られているので、使用に際しては学内で調整が必要な場合もあるかもしれません。また、学校法人によっては、役員以上の一部の者しか存在を知らないというケースがあるかもしれません。

 

まずは上記システム内で必要なデータを揃えられるか試すことになると思いますが、こちらのシステムだけでは入手できない条件のデータを求めるのであれば、情報提供依頼書を提出し、指定の条件に基づいたデータを依頼することもできます*2

例えば、特定地域の、特定の規模以下の、看護系や国際系の学部や学科の志願状況などの量的なデータや、留学を必修としている大学の取り組み一覧等の質的なデータなど、必要な条件に応じたデータを依頼することも可能だと思います。

 

ただし、広報誌やマニュアル等にも一部記載がありますが、3点ほど注意点があります。

1つ目は、提供依頼には原則として理事レベルの同意が必要なことです(これについては、不安な点がある場合は問合せしてみるとよいかもしれません)。

2つ目は、他の法人や学校の個別データの入手や、個別データを特定される恐れのある条件での情報の提供には応じてもらえないことです。

3つ目は、高度な条件付や統計的アプローチに基づいた提供依頼には応じてもらえない可能性があることです。この点については、高度専門的なスキルを持つ大学等の「IRer」の方にとっては残念かもしれません。

 

予め知っている限りで注意点を書きましたが、やはり自分達の入手可能なデータや頭数だけでは、どうしても情報量や人手が足りなくなるケースが発生することもあると思います。

そのようなときには、外部機関の手を借りることも検討してみてはいかがでしょうか。

 

※このブログの内容は個人的意見や見解です。所属組織とは一切関係がありません。

社会科学分野の外部試験活用による学修成果の可視化の一例

他の方のブログ記事*1を拝見し、EREという懐かしいキーワードを見て刺激を受けたので、新しい記事を投稿します。

 

近年、大学において学修成果の可視化が非常に重要視されています。

 

英語力については、TOEFLTOEIC、英検など一般的知名度の高いものが多く、これらを活用している大学や企業は少なくありません。

ちなみに、経済学では経済学検定試験(以下:ERE)というのがあります。これを学修成果の可視化や、さらには単位免除、試験免除に活用している大学は意外と多いのです。

大学や学校での取り組み|ERE 経済学検定試験

 

上記のブログ記事で知ったのですが、青山学院大学の経済学部は、学部生の受験料を全額学部負担するという手厚いサービス。大学ポートレートの学部の特色にも記載がありました。

青山学院大学 経済学部 学部の特色|大学ポートレート

早稲田大学上智大学学習院大学等では大学院入試の筆記専門科目の免除、そのほか、単位認定や学費負担軽減に活用している大学もあります。

経済学部ならERE、法学部なら法学検定など、社会科学系においても学修成果の可視化の材料となる外部テストは、探せば意外と多いようです。

 

ただし、それらの外部試験が、学部ごとのディプロマポリシー、企業等が求める能力に繋がっているかは個別に検証する必要があるでしょう。

ちなみに、私も学生時代にEREを受験しA+ランクを取得しましたが、大学院入試や就職活動ではそれを上手く活用できませんでした。

一方、別の大学で先にSランクを取得していた友人は、就職活動の際に専門的能力や知識を企業から評価されたためでしょうか、シンクタンクに就職し、経済エコノミストとして活躍しています。

もちろん、それだけが評価されての採用ではなかったはずですが、高得点者は実名が公表されるEREのハイスコアという結果に、高度な専門的能力の可視化に繋がるシグナリング機能が少なからずあったのではないでしょうか。

 

本記事で書いたEREや法学検定の他にも、様々な分野で、学修成果を可視化できる外部試験は存在すると思います。

これは完全に余談ですが、最近、私自身や(今後の)部下の心身の健康管理のために、健康管理能力検定*2の2級やメンタルヘルス・マネジメント検定*3のⅡ種ラインケア・コースを受験してきました。

マイナーな資格なので一般的にはあまり知られていないと思いますし、これらが今後の自分のキャリアに役立つかはわかりませんが、ささいな学「習」についても、その学「習」成果を可視化できるものが世の中にはあることに気づきました。

学位といった長期的なものに関わらず、短期的なささいなものでも、こうした外部試験を探し出して活用し、学修成果の可視化や学生の学習意欲に向上に繋げていくことも教学マネジメントの上では重要なのだと率直に感じました。

 

次回は、国立大学の文系学部改廃をテーマにしたIRerの頭の体操をテーマに書きます。 

 

※このブログの内容は個人的意見や見解です。所属組織とは一切関係がありません。