今日一番共感した言葉

「真理を追求するあまり、公の仕事をなおざりにするなどは義務に対する違反である。何故なら、美徳が賞賛されるのはすべて行動によるからである。しかしながら、行動はしばしば中断されることもあり、その時我々は再び真理を追求するのだ。精神の間断ない活動が我々の側の努力なしに知識の追求へと我々をいざなう程力強いとは言わぬまでも。」(キケロ

 

最近耳にしたどの情報よりも、この2000年前のキケロの言葉に最も共感を抱いた。これは約150年前のJ・H・ニューマンの講演録がまとめられた邦訳書、『大学で何を学ぶか』に記されたものである。

 

……余談だが、100年前も、200年前も、イギリスなどの諸外国で大学を巡る今と同じような議論があった。その中で、今も残っているもの、歴史とともに消えていったもの。消えていったものは、(あくまで)現時点での評価として、たいした問題ではなかった話だということだろう。今も色々な人が本を書いたり記事を書いたり、大仰な会議で審議したりとしているが、果たしてどれだけ残るだろうか。


ここから改めて気づかされることは2つ。第1に、真理は時を超えてもその輝きを失わない。第2に、「知」の時空を超えるスケールの大きさ。


さて、最近の人文学系の改廃是非の議論ではあまり聞かないが、ニューマンの話にも挙げられている通り、知は「手段」であるか、「目的」であるかという議論は昔からある。

なお、学教法第83条は「手段」として書枯れているように読み取れる。

そんな法律の条文とは関係なく、私自身のことを言えば、これまでは知を「手段」としてばかり考えていたのに、最近はそれ自体を「目的」として楽しんでいる自分がいることに気付かされる。


大学教育における「リベラル」とは何なのか。何に対しての「リベラル」なのだろうか。「servile(奴隷的)」の対義語だとニューマンは言う。

 

今になって、教養教育でもなく、何にも隷属しない、これこそが「リベラル」な知なのだなと、社会人として学ぶ側になって初めて理解する。


現代への含意がある古典に触れた時の感動は並みじゃないなあ。

 

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