修論と博士課程面接を振り返って

この1カ月の間に、修論提出、口頭試問、博士課程面接がありました。

今日はその振り返りを書こうと思います。

 

1.修士論文

 結局、ギリギリに仕上げたため、「やりたかったこと」ではなく「できたこと」を書いたような論文です。

 また、研究計画通りには進められなかったため、実施はすれども修論には盛り込み切れない内容もありました。

 正直なところ、年末には今年度の提出を諦めかけていました。「良いものを書けそうにないので、今年度の提出はやめようかなあ」と何度思ったことか。

 それでも最後まで書けたのは、探索的な分析の結果、新たな科学的発見や政策的示唆はあったからです。それらを「1年でも早く成果物として残しておきたい」という一心で何とか仕上げました*1

 過去の先輩談や、SNS、blogで発信される情報を見るに、修論の内容や到達点に「満足できた」学生はほとんどいないと思います。僕も、到底満足できる完成度ではありませんでしたし、同期生も全員「不満足」と答えるでしょう。

 それでも、満足できなかった人は全員同質ではなく、(今1人で思いつく限りですが)次の2つに分けられると思います。第1は、「やりたいこと」を最後までやり抜いたけど到達点に限界を感じた人であり、第2は、「やりたいこと」を諦めて「できること」に逃げた人です。僕は残念ながら後者です。できたことをストーリーとして完成させ、まるでアリバイ作りのように比較的綺麗な論文の体裁でまとめました。そういう立場の者だからこそ、前者の人達の内容を発表会で聞き、彼らに賞嘆と尊敬の念を抱かずにはいられませんでした。なぜなら、彼らの研究には、(本人達が自覚しているように)到達点や実証性に課題は残るけれども、自ら定めた問いについて、在学中の1~2年間、あるいは入学前から継続して、調べ、記述し、悩み、考え続けた成果が見えたからです。

 成果物の完成度や構成はもちろん大事ですが、修士論文を「そのまま」投稿あるいは公表する人はほとんどいないはずです。それゆえ、成果物の出来と同等、あるいはそれ以上に、その作成過程において研究テーマへの熱意、根気や粘り強さを養うことが重要であると思いますし、それを評価する人も少なくないのではないでしょうか*2。2年間同じテーマを継続したある同期生の修論は、課題はたくさん残ったけれども、継続して取り組んでほしいと私は思いましたし、先生方やOBからも「もし、このテーマを続けるなら」という質問がいくつかありました(残念ながら、この方は博士課程には進学しません)。もちろん、この話は、「継続して問い続ける価値のあるテーマ」を設定していたかにもよりますけれども*3

 

2.博士課程面接

 落ちました。この御時世では異常だと思いますが、「文系」にもかかわらず倍率は約5倍、かなり競争的です。修士同期やOBの研究テーマ及び現時点での進捗状況、また、一部の外部受験者の経歴及び実績は知っていたので、この結果は相対的に見て当然だと思っています。絶対的に自分のテーマと計画、(ほぼゼロの)実績を評価しても、「このままではだめだなあ」と思っていました。

 ダメなのを自覚していたのもあって、前日は緊張のあまり眠れず、朝一の面接は寝不足でカタコト言葉。自分のやりたいことが明確でなく、熱意も語れず、今のテーマや着想を自己否定し、視野を広げて話しながらも広げた先の領域のサーベイ及び思考不足を露呈するという、最悪の内容。準備出来ている時と準備不足の時の違いが一目でわかるとよく友人から言われるのですが、まさに後者でした。

 一方、現役進学することとなった同期2人(合格者4人中2人)の研究テーマは、新規性・独創性があり、さらに純粋な知的好奇心や探究心をくすぐられ、結果が出るかはわからなくてもそれをやり続けてほしいと思えるものでした。修士1年の時から彼らの発表を聞いていたのですが、いつも楽しませてもらいましたし、毎度「前回の続きが知りたい」とワクワクしたものです。継続してやり続ける価値のあるテーマであること、これまでにやり抜いてきたこと、そしてそれにまつわる実績を先生たちも評価していたのではないかと思います。また、先生方の研究領域内での指導可能性というのも重要であったと思います。 

 正直に言うと、落ちてある意味救われた気がします。このまま進学しても博論を書ける自信はありませんでした。最近は、短期的に解決できそうな小さな問いや分析課題を設定することは出来ても、時間がかかってもやり遂げたいという純粋な知的好奇心、探究心に基づく問いの設定や、それをやり遂げる勇気や熱意、覚悟を持てません。そんな状態で博士課程に進学しても、「分析はできるが博論は書けない」満期退学生となってしまう気がしました。

 また、これは言い訳でもありますが、上記のようなことができない背景には、今の自分の役職や雇用形態もあるのかなと思います。自分の過去を振り返ると、前職時代は数年後の仕事や衣食住を心配する必要がなく、根源的な「なぜ?なに?」という問いの導出、結果が出るかどうかを気にしない取り組みが比較的しやすかったように思います。しかし、約1年前、在学中の転職により今の任期付の立場になってから、そういうことをやる余裕や楽しさは失われました。思いつくのは、既存のデータやローコストの調査から実現可能で、短期的に何かしらの結果が出そうな「分析課題」ばかり。定期的に成果を残さなければならないという使命感が何よりも優先され、時間をかけて、楽しみながら、といったことは出来そうもありませんし、人や組織など、対象や物事をじっくり観察する目も曇っていってる気がします*4

 こうしたことを、任期付若手研究者や大学内の「新しい専門職」の方々、更にはノーベル賞受賞者達が述べてきた意見を振り返り、今まさに共感しているところです。もちろん、優秀な人、順調に万事進んでいる人、勇敢な人達は、さして気にせず研究に当たっていると思います。しかし、僕のように、裕福でも、強い財政的後ろ盾があるわけでも、時間が豊富にあるわけでもない者、才能の欠如を努力で補完することすら怠っている凡夫では、深い志に基づく問いを導くことに難しさを感じます。ただし、今はこういう言い訳を書いていますが、もし何かしらの転機があれば、また解釈や説明も変わるかもしれませんね。この1年を振り返ると、「計画性、自己管理能力、努力、どれも不足していたのに何を言ってるんだ」と言われても仕方ない気もします。

 

3.今後について

 仕事をしながらですが、自由な時間は増えるので、研究活動を継続、というか始動したいと思います。査読誌への投稿、学会発表然り。

 博士課程に進学するかは、今後自分が抱く問い次第だと考えています。この先また1年、色々なことを見聞、観察して、そういう問いが出てくるかじっくり待ちたいと思います。進学するための問いを無理やり作り出そうとは思っていません。それではきっと、やり抜けないと思いますので。

 科学的なことに従事する端くれとして、「一つのことを究めることの難しさ」は重々承知しています。飽き性であり、いろんなことに興味関心が移りやすい元来の性格を理性である程度コントロールする必要もありますし、コントロールしながら物事に当たることが幸せなのかも考えなくてはいけません。「対象学」の道を進もうとするなら尚更です。

 それと、今後の人生を考えたときに、この先数年間で最も優先すべきことは、生活基盤の安定化とそれに付随する活動だと今は落ち着いて考えています。(今後もそうですが)僕自身、「研究第一」の人生は考えていません。

 また、ここでは詳しくは書きませんが、「今、この業界で何を一番の課題だと思っているのか」、「それを解決するために、この先何をしたいのか」を考えていったとき、それを果たす手段は研究なのか実践なのかを問えば、必ずしも前者ではないと考えています。前者と後者には関連の深いものが多々あり、私の考える実践も研究活動に基づくものです。しかし、自分が実現したいことは有益な実践にはなり得れども、研究成果として還元できるかは微妙なものです。

 実践については既に話が進んでいるものがいくつかありますが、仕事とも関係するそれら活動をより良いものにするため、しばらくは実践の質の向上に尽力すべきとも思います。真剣に必死に物事に取り組んでいる中でこそ、色々な課題発見、問いが生まれてくることを経験的にも理解していますので。

 

 この2年間、仲間たちとともに、とても充実した楽しい社会人大学院生生活を送れました。だからこそ、修士課程修了で一度大学院を離れるのはとても寂しいです。今の自分のアイデンティティの1/2を占めていたものを失うわけなので。しかし、僕は元々「学び直し」のために大学院へ進学したのではなく、この分野を本格的に「学び始める」&「学び続ける」ために進んだのだと再認識すれば、継続してすべきことは見えてきますし、正課学生でないことはたいした問題ではないように思います。

 最後に、社会人大学院生として、また、修士論文作成にあたって、この2年間お世話になった大学院の同期・先輩・先生・職員の方々、職場の上司・同僚、他大学大学院の学友・他大の同業者、そして家族など、色々な人達に今は感謝したいと思います。

 

*1:一部の政策担当者にとっては、成果の一つが既知の発見であることを後になって知りました。残念ですが、まあ、それは持っているデータ量が違うので当然、仕方ないとも言えます。しかし、多くの人にとって未知のことではあるので、研究の文脈で科学的に明らかにすること、多面的に検証することは少なからず意義があるだろうと今はプラスに考えています。

*2:ビジネスでは目標達成能力や計画遂行能力も重要かもしれませんが、研究は当初の計画通りいかないこと、計画を大幅に変えることが珍しくないと思います。上記能力は研究でも大切だと思いますが、重要度はやや低いように思います。

*3:いつの時代も、この価値判断が完全無欠である状態は絶対に実現不可能だと思います。それでも、その分野の過去も今も知る、現時点で最先端を行く研究者の評価は、相対的に見て十分信頼に足るものであると思います。

*4:念のため補足すると、僕は「研究を業務とする職員」ではないので、そういうプレッシャーに強く晒されているわけではありません。しかし、今後、今のような立場でキャリアを築くのであれば、外部一般に説明出来る実績を残さないと危険であることを自覚しています。